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2013年07月15日
撮影スタッフはアシスタント?
 色々マニアックな話をアップしていますが、今回はスタッフについて話をしてみたいと思います。Ave Studioは1997年に私が独立し京都にOpen致しました。11年間の下積みの後の独立でした。2000年まで仕事が殆どなく、どん底を味わいましたが、縁あってPDSさんと出会い、たくさんの仲間、お客様と会い、様々な友人と出会い、今に至ります。
 
 そのなかでも今回はスタッフについて考えてみたいと思います。
 私は短気で細かく、妥協が嫌で、仕事が苦しいのは当たり前、だからおまえらもやれ!の今から考えると超スパルタでした。でもそんな時期がないと会社の何かを作ることが出来ないのも確かです。徹夜、徹夜、休みなしで働いていました。そら当然スタッフは苦しくて辞めてしまいます。元々世代が変わりつつあり、成果主義に変わり、若い未来のある子が一攫千金を夢とし、職人っぽい下積みの辛い仕事を長く続けることは難しかったと思います。
 
 あれから13年が経ちました。
 今私の下には多くのカメラマンがいます。また直属にはかけがえのない人と超真面目なやつと、写真の次世代を担いそうなやつ、そんなスタッフとともに撮影の旅に出ています。何があの頃と変わったのでしょうか?たったひとつです。昼間に見る夢を見させてやりたい。そう思ってから会社は変わり始めたと思います。その言葉はN.Sさんの言葉ですが、人は、昼に見れる夢がすべての力になるということです。
 
 写真が社内で上手いか下手か、ボーナスは誰が多いか、出来ない新人に何で出来ないの?教えてもらってないの?何時間にもわたるねちっこい説教、人の人格を否定し道を否定する先輩、夜11時ころに先輩からの説教電話、等等、よく社内でおきる問題に、すべて直属スタッフには繰り返し時間をかけて話しました。これはだめあれはだめ、これは素晴らしいこれはのばすの分別、お金についても人の難しさも彼らは知っています。
 その上で写真に真っ向から取り組んでいます。直属スタッフは神戸、名古屋、京都に5人ほど巣立ちさせました。彼らはバランサーです。楽しく仕事をする気持ちも持っています。人と人の中で自分の出し方も考えます。何より負けません。辛くて泣くことがあっても前向きです。あれから13年こんなスタッフたちと一緒にいます。
 勿論すべて上手くいくことなどありません。彼らもまた新しい壁にぶち当たります。自分だけではどうしようもない壁。そのとき回りにこんな素敵な仲間がいるんです。
 
 撮影スタッフはアシスタント?
 NO!です。それでは単発の現場しか回りません。彼らにも生活があり、昼間に見る夢があるんです。
 私は父親から最高の財産を貰いました。写真の仕事です。持てる力は現場で精一杯出したい。また持っている力は彼らの未来に財産として残したい。そう思います。
 あれ?!私はまだ45歳ですが、スタッフへの思いはまるで保護者ですね。