何度も触れている話です。上手くなりたい!こんな写真が撮りたい。いい生活がしたい!人の思いは様々です。写真バカ、写真オタク、写真が好き、とりあえずやってみようかなと、。人の種類も様々です。
私はどちらかと言えば職人系で、アーティスト系ではありません。考えている頭の中も感覚的なことより具体的な面を多く考えている自分がいます。だから自分の勉強は感覚的なことが主体となります。それは携わっている仕事の内容が再現性を必要としているためです。以前は出来たけど、今回は無理だった。調子が悪かった、そんなことが通用しません。
一生懸命やったんですが、、そんな言い訳をしても次回からの撮影依頼はなくなります。勉強嫌いのカメラマンが増える中、残念に思います。勿論私の数倍勉強をしている人も知っています。さすがに写真は研ぎ澄まされ、力量の差を改めて知ることになります。
学校の勉強とは違うんです。
自分達が自分の意志で選んだこの職業なんです。勉強しないのであれば辞めてください。日本にカメラマンは何人いますか?自分はその中で何番ですか?五年後、何番になっていますか?スタッフによく聞く話です。昔、スタッフに関西1番です、と言った人間がいました。根拠は?自分の評価は自分で決めては駄目なんです。
今回の話のコアはここにあります。
評価は第三者が行うものです。私は勉強しています!と言っても意味はなく、勉強の成果、結果が表れそれを第三者が評価をして、勉強をしているか否か、なんです。だから考え、悩み試行錯誤をして勉強方法を見つけていきます。私が行う勉強方法は出来るなら楽しく、ゲーム感覚で出来る勉強方法です。当然目的に応じて方法は変わります。
私の勉強方法はカメラを持たずに写真を撮ることです。頭の中は自由なのでライティングからレンズセレクトから、表情まで瞬間に作るイメージトレーニングが主体になります。かなりの精密度でイメージをします。人間の頭は凄いんです。
レタッチも頭の中で組み立てて撮影にかかります。
では、これから伸びて行くカメラマンの勉強方法は、見る量、真似る量、技術を理解する復習の吸収量の多さと、恥じる量、悔しさの量、未熟の量の挫折の量の多さ、それを自身で蓄えていくことです。自分は上手い、と思った時点でその人の到達点はそこまでになります。