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2014年02月15日
In put. Out put.
 年間の撮影数が増えれば増えるほど、創り出すものにパターンが生まれる。良い面もあれば悪い傾向でもある。私は自分が普通のレベルだと思っている。数々の才能を持ち、素晴らしい作品を生み出す人に羨望の気持ちを隠せない。
 
 何が違うのか、何を思って生きているのか、どんな修行をしてきたのだろうか、。その人達に共通していることは日常生活と仕事が混在している事のように見える。区分けがない。私はオフの日にカメラを持たない。駄目だとはわかっているが持てない。理由は一つ、大変な事になるため。一枚の写真を撮る為に費やす労力、時間が半端ではないことを知っている。風景を撮るにしても雲の表情が気になり、待つ。差している光の角度が夕方を待たせる。人を撮れば光を作りたくなり、メイクをやりなおしたくなる。いつ頃からか考える事だけで実際にフィルムに残すことがなくなった。
 
 賛否両論。その上での話ではあるが、異常に鍛えられた事柄が今の私を支えている。瞬間にイメージを作る力。カメラを持っていない分、頭の中で撮影をするためにレンズの選択や光、ポージング、配置や色もイメージ先行となり、足りないものを判別する、必要なものを入れていくことが容易になった。
 
 反対に苦しくなった事がある。頭の中で撮影イメージを作る為に自分の頭の中の世界が広く、柔軟で無ければイメージがパターン化されるというものだった。
 
 結局避けられない問題がここだった。私は生活圏の中でこの問題を緩和しようとした。海外に長期渡航することは何よりIn putに適している。年二回は行きたいのだが仕事は止められずにいる。生みの苦しみとも言うイメージのパターン化に悩む日々を送る。模索した結果行き着いたものが映画だった。
 年明けから既に30本近く見ている。去年は200本は見ただろうか。異常とも思える本数だが自分の世界観を変える有効な方法だと思っている。
 
 今回の話のコアはここにあります。
 続ける事、異常とも思える事をやらない限りパターン化は避けられないものです。天才はほとんどいません。普通の素質の人間は人の何倍も努力をするしかないんです。私は自分で続けることが出来る範囲でこの方法を選択しました。人それぞれですが自分にプラスとなる異常さを見つけることだと思っています。
 
 パターン化の怖さはもの作りを生業にしている人は皆知っています。
 逃れたい。上手くなりたい。人がやっていないことを実現したい。そんな思いが今年もまた自分に降りかかって来るなら、努力が足りない表れですね。
 
 Out put In putのバランスはいつも考えて仕事に向かい合いたいと思います。
 長く一線で活躍出来ることが、何より嬉しいことなのです。