凄さが計り知れない。機材オタクではない私は気に入った機材を長く使う癖がある。あまりこだわらないが、故障の少なさには敏感である。この645Dは尊敬する写真家から薦められた機材であまり期待はせずに購入をしたものだった。
はっきり言って、当初、廻りから羨ましく思われる言葉に??と疑問を持っていた。記録の遅さ、ライブビューの無さ、タングステン光への弱さ、常用しているSONYとの肌色の違い、何故か白飛び軽減がISO400以上からであること。そんな事が目につき、この凄さに気付く事が遅くなった。ある時、SONYで撮影せずPENTAXを手持ちでガシャガシャ切っていた。その時の現像の仕上がりがかなりイメージに近く、また調整が早かった。そういえば昔遠方出張に行く前に友人の依頼で成人式の写真を撮影した時に、たまたまPENTAXで撮影をし、紅葉の発色と肌色のきれいさ、作業の短時間化に納得をしていた記憶を思い出した。最近の35㎜フルサイズには驚愕のスペックが羅列されているが、フィルムの質感が頭の中で1番である私には、どうしてもそれに近いものを選ぶ傾向がある。
カメラを語る人は多く、私の数百倍もカメラ好きで、審美眼も持ち合わせ、そんな方々がこのカメラについては全てを語りつくされた後の今、このカメラに新型が出ると知り、あまりの欲しさに2台買うことを決めている。その人にとってのカメラ選びは人それぞれであり、スペックや必要な分類法で決めていく。スタッフの話の聞こえて来た中でCanon 5Dmark2とmark3の歴然な差の話も面白かった。
実は私はそういったことに全く興味がない。ときめくかときめかないか、だけである。性能は年々よくなる一方で、好みの問題であり、私は縁あってこの645Dで撮ることになった。使っているうちに良さが少しずつ分かり、今はこのカメラの二代目を待っている。
今回の話のコアはここにあります。
デジカメになってから使い込むという段階が少なくなってきています。癖。
カメラが撮り手の感覚を早読みする。そんな所まで使い込みたい。昔読んだ本に、100メートル離れた的を狙う時、真っ直ぐに弾が飛ぶ銃を持つより、100メートルで1メートルの誤差のある銃の方が冷静になれる。というものでした。確かに癖がある事がプラスになることは多いかもしれません。
私の癖、カメラの癖。付き合う時間の長さはお互いの癖を知り、その対処方を見つけて行くものです。そんな風にカメラと付き合って行きたいと思います。スペックや新しいものであることも大事ですが、気に入ったものは何年経っても素晴らしいものです。そうそう、私の中で、PENTAX645Dの良さは柔らかい描写です。パソコンで後処理は当然しますがRZ67のフィルムで撮影していたあの時の質感を思い出します。昨今のシャープを絵に描いたようなシャープは受け付けません。
古いと括られるかもしれませんが、自分の理想は曲げずに進んで行きたいと思います。
THE DESTINO
(direction: smile D.C)